劇団五月の歴史


1977年5月、故 荒山 誠(当時32歳)が旗揚げ、同年11月老人ホームにて慰問公演をおこなったのをきっかけにボランティア活動を続けています。 

 

「劇団五月」の芝居作りは、老人ホームでは時代劇や民話劇を、乳児院・養護施設では童話劇を公演し、いつまでも心に残る作品作りに取り組んできました。 

 

劇団五月は”手作り”を心掛け、人と人との結び付きや、団員一人一人の感性を重視し、これからも”人に愛される”芝居作りを目指していきたいと思います。 


1977年

劇団五月旗揚げ。荒山誠の呼びかけで府下の芝居好きが集まり、5月に旗揚げしたので「五月」と命名する。稽古は阿倍野区の「丸山会館」を借りて行う。11月には、第1回慰問公演を堺市の八田荘老人ホームにて「由美姉さん」を上演する。

 

1978年

住之江区に舞台セット工房を設ける。

阿倍野区勤労青少年ホームを稽古場所の拠点として活動。慰問先のお年寄りに「五円玉のキーホルダー」の配布を始める。

 

1979年

国際児童年参加作品として、第1回自主公演「手に届く幸せ」を森ノ宮ピロティーホールのこけら落とし公演として行う。


1980年

大阪自立演劇協議会に加盟、春の演劇祭りに参加する。

第1回子ども劇場「カミナリとコッコおばさん」を公演する。

大阪府知事より「優秀サークル」として表彰を受ける。

 

1981年

第1回ヤングパワーカーニバルに参加、「汽笛の詩」を公演する。

 

1989年

豊中市教育委員会の依頼で豊中の伝承民話「待兼山の悲恋」を書下ろし、公演する。近鉄小劇場で「この指とまれ」を自主公演する。

稽古場を天王寺勤労青少年ホームに移転する。

 

1994年

阿倍野区老人会からの依頼で「喜寿万歳」を公演する。

 

1995年

阪神淡路大震災でインテックス大阪に避難されている方を慰問、「一本刀土俵入り」を公演する。兵庫県東条町八幡神社で地方公演を実施、「瞼の母」「白雪姫」を公演する。

 

1996年

住之江区のセット工房から移転、堺市に「劇団あとりえ」を設ける。

 

1997年

社会法人日本善行会と労働大臣より表彰される。

第1回風之窯まつりに参加、「喜寿万歳」を公演(以降4年連続参加する)。福井県へ地方公演を実施、3か所の老人ホームを慰問する。

劇団五月創立者、荒山誠永眠、近鉄小劇場にて「さだめ川」を追悼公演する。

小川尊子、団長になる。

 

2000年

公演回数200回をむかえる。八田荘老人ホームで「絵姿女房」を公演する。

 

2001年

吹田市に稽古場・セット工房移転。

あとりえ落成記念式典を開催、「一本刀土俵入り」を公演する。

青野靖、団長になる。

 

2010年

公演回数、通算250回となる。

 

2016年

9月 プレーゴ緑地公園にてお祭りのイベントに参加。公演回数、通算279回。

 

2016年

12月 和泉乳児院にて「大切なオノ」公演回数、通算280回。

三代目団長 青野 靖が病気療養のために退団。

 

2017年

1月 廣岡 真由美が4代目団長となる。